「被災地状況」

「3/11発生 東日本大震災 復興支援プロジェクト」

2011年5月21日(土)〜 「潟Aースネクスト 丹羽茂男さん報告」

気仙沼、南三陸、陸前高田

5月21日土曜日から5日間

4月に丹羽さんに、お目にかかった時に、

被災地に、消毒液と千なりを持って

支援に行くとお話しされていました。

カネハツの煮豆に変更でしたが、

5月それを無事実行に移されました。

そのご報告があったので、掲載します。


わたくしも何かをしなくてはと思いながらも

募金をすることぐらいしか出来ません。

せめて、HPを使って、丹羽さんの報告を

皆さんにお伝えできたらと思います。


以下は全て 丹羽さんのお話されている内容です

アースネクスト 丹羽さん(左)
        
          カネハツ食品 加藤さん(右)
野菜とか、定期的に入ってくるようですが、

調理する方が足りないとのこと.。でした。

オムツとかは山済み状態。 

支援物資のムラはなかなか

解消されないようです・・・


カネハツの煮豆などのレトルトは、

常温で日持ちするし、

本当に感謝されました。


明日、早速被災者の方々へ

配られるそうです。

久しぶりのおがず・・・って・・・
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Tomoe智惠 Watanabe渡辺

気仙沼・・・

豊かな漁場の町が壊滅していました。


火災で真っ黒に焼け焦げた大型漁船。

戦争の残骸のようでした。

壊れた住宅から、子供の

クリスマスツリーや可愛い麦わら帽子が

はみ出ているのが見えて・・


同行の國井ちゃん。 

涙が止まらなくなってしまいました。

彼にも小さなお子さんがいますので・・・


丹羽さんからの報告書 そのまま掲載します

    ↓事前経緯
災害対策本部の新田さん。

彼が支援要請を出してくれました。

写真右側の「被災者の数字」が

生々しいです・・
現地では一関の支援旅館に宿泊しました。

朝から50k先の南三陸町に向かいました。


そこには、理解できない光景が

広がっていました。

最後まで、非難を呼びかけていた、

災害庁舎。 痛ましい限りです。


なんで、線路がこんな風に曲がって、

千切れてしまうのか・・??


暫らく、身動きが出来なくなります。
南三陸町で彼らと出会いました。

北海道から来ている、
日本最大の炊き出し支援隊です。

写真は代表の山口さん。
被災直後から、南三陸に入って、

1日1000食を提供しています。

ガス、水道などのライフラインが
完全復旧するまで半年でも一年でも
続けるそうです。


彼らの凄い所は、被災者も
復興作業員も関係なく食事を振舞うところ。
カッコよかったです。

彼らと合流し、合同で復興支援に
関わることが出来ました。

ちなみに、炊き出しぶっかけごはん。
最高でした!!



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3日目は陸前高田に向かいました。

海まで6km地点。 

突然集落がなくなっていました・・・

海はぜんぜん見えません! ???

近くの川を6kも津波がさかのぼり、

集落を押し流してしまいました。

ここの住人の誰が、予告できたでしょう・・・・・
コメントできません。

南三陸の30倍〜50倍の広さでしょうか・・・

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「被災地状況」
2011年5月21日(土)〜 「潟Aースネクスト 丹羽茂男さん報告」
同級生の加藤英俊くん。

小学校の頃は、二人とも

可愛かったと思いますが・・・

40年以上会ってないし・・・

いきなり玉手箱で、

おっさんになってしまった感じです。
気仙沼 支援物資 集積所
カネハツ食品 搬入
気仙沼 災害対策本部
気仙沼市被災状況
2日目 南三陸町
チームやんじー 炊き出し支援隊
3日目 陸前高田
陸前高田 市内
でも!
出会いましたよ! すてきなヤツラに!

みんな家も流され、友人を喪い・・・

そんな中で、頑張っているヤツラ!

彼らの「最高の笑顔」!

僕らは被災地を見て、半分PDSD状態。

そんな中、彼らの「スペシャルな笑顔」に

どれほど救われたか、

そんな最高の笑顔に助けられて、

最高の支援活動ができました。

彼らに会って、分かったこと。


「東北は絶対大丈夫。」 です。

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